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テキスタイルにおける触覚のビジュアル化
− 触覚ワークショップ − 月刊 『 染織ALPHA 』 2000年 2月号 |
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遊戯的五感への問いかけ 表現する行為の過程における遊び的感覚の認識は、とかく技法を重視するテキスタイル領域において自己の身体を通して表現への熱い思いを坊彿させるものである。技法の修得はいかなる領域においても当然であり、何故表現したいのかを自問自符することが大切である。意識することである。五感への訴えが強い程、ある意味におけるヨハン・ホイジンガの遊践の世界に繋がり広がるのだろう。芸術の様々の遊技形式のなかで語られている、律動と調和のいう秩序と非秩序との あいだの区別は人間にあたえられた特権であり楽しむということを知っているのも人間であると語っている。ここで楽しむという行為がわれわれの身体を躍動させることで五感を刺激して表現へと展開する。私はテキスタイル教育においては、この遊枝的感覚が重要と考えている。五感を研ぎすますということは、とにかく無条件で楽しみ感じることから始まると考えている。
指によるよるドローイング
消失から生まれる変質、変容の確認 染料による表現は、顔料によるそれとは異なることを理解してもらうために、2次元における図形と色彩が伝える意味性の消失を画用紙の上で行う。図形、色彩のオーバーラッピング効果が生み出す意外なビジュアル性を≪意識しての行為≫を適して確認するのであるが、その題材となるものは自分の名前である。名前と言う記号的図形、意味性とコミュニケーションを図りながら発信する伝達性の変容を通して、アート、デザインを含めた造形表現での言語、形態、身体の相関関係の大切さを考えるための行為となる。
足よるドローイングから『 触覚を繊維で描く』 武蔵野美術大学における基礎的導入および他教育機関のリポートを記してみる。テキスタイルを専攻した2年次の学生を対象とした織の授業では、再度、触覚を意識させた≪ 描き織る ≫を行う。表現する基本としては、冒頭に記した遊技触覚から観察、描写が大切なことは言うまでもないが、糸という絵の具による表現であることを理解してもらう、教室の床面一杯に富山県五箇山の和紙が敷き詰められる。この紙は障子紙として生産された90cmの約60m のロール紙である。全員で敷き詰めていくのだが普段使用している洋紙とは趣の違いを足、全身で感じ取っていく。また灰色の冷たい床面が白くなることで部屋全体が明るくなることを知る。寝転がりながら気持ち良いという言葉が飛び出す。しめしめと心のなかで私はつぶやきながらしばらく遊ばせることにする。
●創形美術学校の四階から吊るされた和紙が風に音をたてて舞う。池袋の町を素足で歩き都市の触覚を味わった後、巨大な画面に歓声をあげていた。グラフィックデザインを勉強している彼等の展開は、他のテキスタイル分野と異なりプレゼンテーション時においては多様で意外な発表に驚かされた。コンクリートの壁面に波打つ巨大なタペストリーは追行く人々の足を止めさせていた。
●武蔵野美術大学の織表現の導人としては、足のドローイングや落葉、石などの触覚描写のトリミングからオフルーム制作となる。トリミングされた空間の図形もさることながら足で捉えた感触を、素材に変換しながら最低の技法で表現する。構造としての布の成立を学習する前の授業である。
●女子美術短期大学の杉並校舎屋上からの和紙は、恐ろしいほど空に向かってはためいていた。巨大な平面のパフォーマンスである。テキスタイルがつくり出す環境デザインは、屋外では、自然の力を取り人れながらダイナミックに我々に追ってくる。トリミング後、塑性変形を利用したレリーフ表現へと展開する。
●京都女子大学表現文化学科大学院の受講者は、美大と異なり私にとり興味が強い。造形することを主にしている学生に限られないため最初の戸惑いはあるようだが、それぞれの専門領域からの多様な身体表現が画面の上で行われ制作へと進む。ここでは室内での垂直前の確認であるが、その後は他の学校と同じ手順による制作となる。足のドローイングに加えフロツタージュを後期の授業で行う。紙を通して写し取る行為から、触覚と図形の表出を体験した後、繊維による表現としてのオフルームになる。
札幌芸術の森 30名の受講者のほとんどは染織の経験者である。上地柄羊毛は身近な素材であるため織物、紡ぎによる糸つくりは皆プロの腕前であった。初日の受講者は身構えた様子でオリエンテーションを受けていたが、自己紹介後、床に五箇山和紙を敷き詰め座るころから解放的な空気が流れはじめる。
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学習することは、まず楽しさが基本と考えながらテキスタイルを担当する私は、以前から上記のような導入を心掛けてきた。近年よく言われる身体表現に少しずつではあるが、造形表現と密接な関係があることが理解されてきたのだろうか。表現するに必要な技法は不可欠であるが、時には技法の放棄という逆説的な視点から思考する必要があろう。誰でも表現者なのだ。その視点から京都女子大での表現文化学科に期待を寄せている1人である。他の教育機関からワークショップの要請をうけて、1999年の創形美術学校ビジュアルデザインコースを皮切りに、今日に至ったことを機にまとめてみることで私自身のステップにしたいと考えている。 (武蔵野美術大学教授/たなか・ひでほ)
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