2001 5月8日
    

   

   

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EN-VIRON-MENT

  

< 夢 > は実現するもの

 アメリカの子供達の夢についての教育が、<実現>と言う教え方に、感心しながら、「さすがアメリカ」と納得し、学生にもこのことを時折話している。

「夢へ向かって信じ努力する」、これは人間の特権である。私にとっても夢が少しずつ見えてきたような昨今である。社会の変化がフィットしてきたようでもある。

 学校を卒業後、私は、デザナー、教員といくつかの職種を経ながら、常に進化と広がりを望んでいた。一カ所に止まることが好きではなかった。

 人間誰にでもマンネリというか飽きがあるものだが、「学生が卒業していき、すぐにまた新入生を迎えるという事実」が、私に飽きを感じさせなかった。

 学生を送り出して自分の時間に浸る。間もなくやってくる新学期までの僅かな時間は、私にとってブルーな日々である。

 だが、新学期が始まるとまた2年あるいは4年後の新たな目標に向かい指導する。

 私は駅で、毎年50名近い若者が通り過ぎてゆく。空しいなと思うこともあったが未だに続いている。彼らが私に飽きさせないエネルギーを与えてくれていたからであろう。改めて感謝している。列車に例えることは失礼とは思うが、鈍行列車、急行列車、新幹線並みといろいろな学生が通過していった。

 学生は、学校という枠の中で私に関わるのだが、それだけでは私は満足できない。卒業してからの付き合いこそ楽しいものだ。表現を学んだ彼等はそれぞれ自分で道を切り開いていくが、彼等にとって社会は窮屈で、自己否定を余儀無くされることも多く、次第に創造への意欲を無くす者も少なくない。その点私は、未知への興味と開拓することに喜びを持つ人間であった。彼等に表現する意欲を失わせないために、多少おせっかいもよいだろうと自分に言い聞かせながら、Today's Art Textile展も16年を迎えることになった。キャリア組からニューフェースまでが入り交じりながらの発表が全国そして韓国へと展開してきた。

  

  

大学の門を出て通用する人間になりたい

 若くして大学の教員になった私の最初の願いだった。教員を志したわけでもない私が大学の先生になる。大事件であった。卒業当時私は、とにかく早く社会へ出て自分で稼ぎたいと考えていた。デザイナー、工員、バーテンダーそして教員と仕事を替えながら生きるのに必死であった。

 自分で言うのもなんだが、忙しい割には遊ぶことも上手だった。忙しければそれだけ時間を見つけて遊ぶ能力はあったようだ。先日も我が息子に、息抜きの方法を話したところだ。とにかくタフだと自分でも思う。
 
作品制作の意欲は強く、落選を繰り返しながら公募展へ挑戦していた。このような繰り返しのなかで 、Japan Art Festival は制作への切っ掛けを提示してくれた。作品搬入の緊張感が漲る場所はたまらなく好きで、毎年そこで出会う人間と友達にもなった。思えばいろいろな人間との交流が生まれ、表と裏の世界を肌で感じながら、人間みな同じという結論に行き着いたが、アーティスト達は魅力的であった。

  

    

学校は恐ろしい所でもある

 29才で大学の講師になったが、今思えばその頃の学生は不幸であったと思う。元気でギラギラしていることが唯一のとり得である若い教員と付き合わねばならなかったのだから。

 先生と呼ばれるのは、確かに気分は悪くないが、その反面気色の悪さと先生と呼ばれる恥ずかしさが同居する。
 
特に専門領域における裏打ちのない厚みに対しての自己嫌悪は嫌なものだ。ここでも私の負けず嫌いが努力という二文字になった。しかもそれは、テキスタイルの領域を前提にはするが、独自の世界を創るための努力であった。弱さを隠そうとするために威張る、媚びする人間も多く見てきた。「ああはなるまい・・・」。誰のためでもない、今いる場所で生き生きとした自分でいるためのものでもあった。しかし人間、先生と呼ばれているとそのことが当たり前になる。要注意事項だ。

 他分野の魅力的な人々と出会うことに積極的になった結果として現在の人的交流があるが、皆誠実で創造的な人ばかりである。出会いと広がりはなんと素晴らしいものだろう。

 私の表現もデザインからアートへと展開しながら、両者の融合を考え始めて行く。テキスタイル教育の位置付けは、学校により様々である。染織という技術を基本にしているところが大半を占めるが、アート&デザインが私の考えである。「進化と広がり」を私なりに言うとそうなるのだ。つまり、いろいろな表現と人々が最終的には、ひとつの世界、宇宙を創ること。そのためには、考えも行動においてもグローバルな視野が大切である。

 20世紀は、領域ごとの進化と研究で独自性を築いてきた。教育機関においても同様であり、その事実を否定はしない。

 しかし、これからの創造の世界では、出会いと連携情報の共有化によって新しい表現が可能になると確信している。

 ●意識して場を、環境を、民族を超えること。

 ●個人としての責任で行動に移すことが必要である。

 そのような考えからTEXNETを立ち上げた。青空塾とでも呼べるバーチャルスクール、ネット上の創造を喚起する場である。

 来年で30年を迎える教員生活で得た宝、それは卒業生である。

 この宝のために、これまでと違った形でサポートしていこうと考えていたら、TEXNET に辿り着いた。

 このページは、教育に携わりながら現状への改革を思考している情熱ある理解者と卒業生の協力でスタートすることになった。今後のTEXNETの活動などは追って報告したいと考えている。

   

●画像 VANISHING 1989〜1990現場展

    福島県平沢砂利採取場 直径25m 綿布、石

    

    

(C) Copyright 2001 Hideho Tanaka.