環 境:卜―タルデザイン
乗降客数日本一の新宿駅。その混雑と無秩序な環境は現代の日本の象徴であり、ファッションそのものだ。個性的とか、「面白いからいいじゃない」で許される環境の悪さに眉をひそめる人々も多いと思う。自由な社会環境下では、秩序が作り出す美は理解できないのだろうか。
駅の騒音に毎日身を置いているわけではないが、とにかく騒音として気になるものに電車の発車音がある。金属音のベルに代わり音楽的旋律音を耳にするようになった。JR東日本によると、国鉄からJRに変わった1989年、イメージアップのためにデザインを変えたとの答えが返ってきた。
日本もようやく環境を考えた駅作りになったと喜んだのだが、いつのまにか駅という駅が同じような演出になり、しかもその音はどこかで聞いたような旋律ばかりだ。私だけが感じるのかもしれないが、尻切れトンボのような旋律と音の長さは中途半端でイライラする。JRの「デザイン」という言葉が空回りをしているように聞こえる。
音の決定は最終的には各駅の駅長が決めているらしいが、JR上野駅はべルも併用している。命令は出したものの、総合的な環境づくりまで考えていない。これが現代日本のデザインの姿なのだ。環境の整備、統一ある街づくり、トータルデザインを真剣に考えてほしい。
以前、光のデザイナーが、ディスコの空間照明に関して、客数の増減と連動した光の演出による環境づくりで私たちを魅了した。音のデザインと環境にも同じことが言える。唐突に聞こえるだろうが、この国を方向づける政治、行政領域での、美とデザイン教育が特に重要と考えるこの頃である。
服装でも、いろいろな姿を街で目にする。お世辞にも美しいとはいえない不要なファッションも多い。ファッションは「自分のためで、人のためではない」とヒステリックに叫ぶ声が聞こえてきそうだが・・・・。
衣服について調べてみると、「着物」「衣服 「被服」「服装」「服飾」などさまざまに呼ばれる(『芸術工学概論』吉武泰水編・九州大学出版局)。芸術工学では、アバレル・デザインについて次のように解説している。
「これらを総括する用語に対して、被服と定義しているが、被服の被は『おおう』の意味なので、元来は着装すること、あるいは着装した状態を示すものであったが、いつしか着装する以前を指す『衣服』と、同意的に用いられるようになってしまった」
また、被服という公用語が定着しても一般生活に浸透しなかった理由の一つに、軍隊での使用方法で「規格による製造および配付」と記された点が挙げられる。用語と意味の興味深い変遷である。服だけに焦点を絞って語れないのが現代のファッションである。
本来、ファッションは美しく快適なもので、本人はもちろん、人々をも魅了することに意味があると思う。バランス感覚で創造されてきた日本の美のファッションはどこに消えてしまったのだろうか。
触 覚:テキスタイルの本質
テキスタイルの本質は触覚である。触ることからテキスタイルを考えねばならない。現代のツルツル文化は、建築からコンピューターや効率を追求する工業製品にまで至っている。
ガラスの建物やデスクトップなどがそのよい例で、ツルツルスペスベが身の回りに多い。自然界にはそのような触覚感は存在しない。「 Texture(テクスチュア)」もよく使われる言葉だが、この意味はラテン語の「to weave(トゥ・ウェーブ)」である。
糸と織りの交差が作り出すさまざまな表情・テクスチユアを大切にしたい。「手」を通して作り上げてきた触覚文化は日本のかけがえのない誇りである。コンビニ、インスタント、“チン”など、アメリカ的生活は便利で素早く対応する生活を提供したが表面的であり、大切なものをはぎ取ってしまった感がある。
食生活の大幅な変化とともに使い捨てという大量消費へ進み、先人たちの繊細な感性と卓越した技術で作られてきた触覚の布が姿を消さざるをえなくなっている。五感の中の基本である「触って考える」を、テキスタイルはもちろん、生活、環境、工業すべてにおいて再考すべき大事な時代を迎えている。
風 土:文化は素材で形成
歴史学者のトインビー氏は、アフリカにおける衣服と肉体について、こう分析している。
「ここではキリスト教とイスラム教が宣教のしのぎを削っている。どちらも、人々に裸を隠す習慣を身に付けさせようと多大なエネルギーを費やしている。しかし、ここの風土では裸でいることこそ最も合理的な服装なのだ。ディンカ族の美しい裸をみていると、衣服などというものは、楽園追放以前の人間の面白半分で作ったものだということが分かる」(NHK「ファッション・ドリーム」第1話/1991年)
衣服を成立させる1枚のテキスタイルは、雄弁に自然との調和、共生を生み出し、素材、形態で歴史を語り、文化は素材によって形成されたとも言えるだろう。最古の麻布は紀元前4200年頃エジプトで発見され、中国では絹、インドでは木綿、南米のプレインカではラクダ科動物の毛が織られた。日本を考えると南方からの稲の栽培技術説が有力視されている。紡織がどの程度の重要性を持ち、経済や生活に関わっていたかだが、植物繊維を中心に縄文時代の終わり頃から弥生前期に展開されたと考えられる。
衣服は、風土に支えられて民族性豊かに発展してきた。しかし、流通の変化と拡大は、世界市場の境界線を越えて、グローバルな経済を活性化させ、その結果、地域性、風土性、民族性さえ混沌とさせる製品が出回ることになった。
「ファッションって何?」「服って何?」の問いに、「自己表現」と返ってくることが多い。確かに間違いではないが、「自己規制」と対で考えることを忘れているようだ。
素材革命は、合成繊維の色彩の豊富さ、重量、強度の面からテキスタイルのパフォーマンス性を拡大させ、大胆で刺激的な表現を可能にした。身体表現として、あるいは空間を包み構築して内部、外部の接点となる稜線や膨らみ、テンションとコンプレションの造形が衣服にも応用されて、個性的な形態表現で楽しませてくれる。一方で、衣服は生命を守るライフラインとして、素材、耐久性の研究が科学的側面から行われ、第2、第3の皮膚を作り出している。機能性を重視するとともに個人の満足感を充足させるのもファッションである。